profile

1975年6月
長野県軽井沢町にて生まれる。
小学生時代 
好奇心旺盛で何事にも取り組んでいた。特にスポーツが好きで、スピードスケート、野球、剣道、バスケットボールなど、たくさんの競技会にも出場していた。人の上に立って物事をする事が好きだった、ワンパク坊主時代だった。
中学生時代
何事に対しても反発してしまう時期だった。かなりのやんちゃ生活を送り、警察やたくさんの人々に迷惑をかけてしまった。
唯一取柄としては、小さな頃からしていたスピードスケートだった。練習嫌いでほとんど練習には参加しなかったが、全日本中学選手権7位入賞を成し遂げる。
高校時代
両親の「手に負えない+更生させたい」という強い気持ちから、家を離れる事になる。反発はあったが、強制的に山梨の高校に行く事になる。山梨に単身乗り込み、しかし入学してからもしばらくやんちゃな生活続く。しかし出会った人達はもっとスケールのデカイ人達ばかり。自分の無力さに絶望し、徐々に更生した。
山梨に行った事で、人生は大きく変わり、人との出会いの大切さも感じる事になる。唯一続けていたスピードスケートに関しては、相変わらずの練習嫌い、何も考えず何もせず、ただ、「やらされている」という感覚でのスケート生活。転機は2年の時。
約10年ぶりの500M県記録更新を目の前で見る。それを見た時に体中から熱くなるものを感じ、自分も輝きたいと強く思うようになる。最後の一年は、死に物狂いでトレーニングを積んだ。自分から何かをしようとした初めての事だった。
その甲斐があり、インターハイ、国体、3位5位入賞。最終戦にて念願の500M県記録樹立。スケート競技人生12年に栄光と共に幕を下ろす。
就職時代
高校卒業後、料理の道に進みたいと願い、寿司屋に勤務し始める。もともと料理は得意だった事もあり、めきめき上達した。親方の「出前持ち3年、皿洗い3年の時代は終わった!」という、新しい考えにも助けられ、入店当時からすべての仕事に関わる事ができた。しかし、仕入れから仕込み、接客、調理まですべてをこなすのは大変で、寝る間を惜しんで練習していた。親方の技術を目で盗み、お客さんを惹きつける話術を盗み聞きし、早く一人前になりたくて仕方がなかった。1年経つ頃にはカウンターに立てるようになり、直接お客さんと接するようになってから、多くの事を学ぶ。大人の世界、人との接し方、さまざまな人間像、とにかく社会勉強になった日々だった。
1996年 
友人の薦めによりスノーボードに出会う。
初めは乗り気ではなかったはずが、すぐにスノーボードの魅力に取り付かれてしまい、仕事を辞め山にこもるようになる。このときはしっかりとした目標があったわけでもなく、ただ現実から逃げたかっただけなのかもしれない。その後、レースがあることを知り、過去に競技をしていた事もあり強くレースに惹かれるようになる。
1997年〜1999年
アマチュアレーサー時代。
スノーボードを始めてすぐにレースにも参加するようになる。レースで速くなりたいと強く願い、仕事を辞めすべての時間をスノーボードに費やした。アルバイトをしてお金をためては海外キャンプに参加をし、シーズン中は毎週のように、車中泊をしながらレースを転戦した。さまざまな仕事も体験した。夜勤のガソリンスタンド、スキー場での降雪作業、ホテルでのウエイター、配膳の仕事、大工、トラック運転手、土木業などあらゆる職種を体験した。しかし、すべてはスノーボードのためだった。
年平均20レースに参加。2年目には中部地区全日本予選で優勝。全日本選手権でも上位に食い込めるようになる。
1999年
プロトライアルにてJSBA公認プロ資格取得
1999年〜2000年
活動の場を広げ、強い選手の中で勝負したいと思いプロ登録する。と同時に、世界で通用する選手になりたいと願い、秋からフランスのトップチームへ入り、トレーニングに打ち込む。現在も現役で活躍中の、マチュー・ボゼットやニコラ・ウエと共にトレーニングを積み、世界とのレベルの差に愕然とする。とにかく強くなる為にトレーニングと大会遠征に没頭する毎日だった。
2000年〜2002年
念願のワールド杯出場権を得て、ワールドプロツアーを転戦し始める。
昨シーズンのワールドプロツアーにおいては、初の2本目進出。そして初のワールドでの賞金獲得!ずっと突っ走ってきた事が形になり始めた瞬間でした。もっと上に行きたい、もっと速くなりたい、と願い更なる飛躍を目指し取り組んだ。その甲斐があり、シーズン終了時にはワールドランキング26位、ジャパンランキング2位という成績を残した。
2002年〜2003年
先シーズンをワールドランキング26位で終え、初のシード権を獲得した。翌年はダイレクトにワールドカップを転戦できる予定だったが、ワールドカップに向けて最高の気持ちでトレーニングを開始した矢先に、最悪のニュースが飛び込んできてしまう。それは、ISF(国際スノーボード協会)破綻という、何とも信じられないニュースだった。ワールドカップで戦うことだけを夢見てきただけに、とても信じられないニュースで、何ともやりきれない挫折感を味わった。もう一つの団体FIS(国際スキー連盟)へ他選手が移行する中、国内のスキー連盟の体制などを理由に、残された国内のプロツアーに残ることを決める。この年に、メインスポンサーであった「HOT」より、国産スノーボードメーカーの「gray snowboards」へと移籍する。心機一転、新たな気持ちでのスタート。また、先の見えない競技人生に不安を抱えながらのスタートであった。
ワールドカップの転戦は夢と消え、国内のプロツアー、海外でのFISレースを中心とした生活を送る。また、スノーボードの魅力をより多くの人に伝えようと、2002年12月にはオフィシャルホームページを開設。レース活動以外では、以前より興味があったバックカントリーにも力を注ぐようになる。
2003年〜2004年
最大の夢であったワールドカップの転戦が出来なくなった年を過ごし、少しずつではあるが自分の中で何かが変わり始めた。団体の破綻や政治的な絡み、その時の状況に左右されるのに嫌気がさし、新しい自分を築きあげるために取り組んだ。レース活動に関しては、まずは後悔のないライディング、そしてすべてを出し切るレースを目指した。守るべきものもない、始めた頃の純粋な気持ちを取り戻し、一レース一レースを全力で戦い抜いた。その甲斐もあり、国内のプロツアーとしては、自身初めて戦えているという感触をつかみ、勝つことを意識できるまでに成長した。優勝こそは逃してしまったが、年間ランキング3位で幕を閉じる。
また、レース活動と同時に、ビデオや専門雑誌などに多数出演。新しい分野での活動にも全力で取り組めた一年となった。
2004年〜
純粋な気持ちで取り組めた03/04シーズン。終わってみてみると、納得できた自分と、何かと葛藤している自分がいた。精神的にも苦しい時期を過ごし、一時期は本格的なレース活動から退くことも考えた。だが、自分が何かと葛藤しているのは、不完全燃焼であること、そして多くの人々に励まされ、新たなる場所を見つめ再出発を決意した。現在は、新しいシーズンを納得できるシーズンにするために、日々トレーニングに明け暮れる日々を送っている。