hiden voice


2010/1/6「スノーボードを始めるまで」

皆さん、新年はゆっくりと過ごされましたか?
そろそろ会社や学校も始まる頃かと思います。
新しい一年も始まりましたねぇ。

さて、前々回書いたとおり、この冬は様々な長岡英明をお伝えしたいと思います。
“ケジメ”をつける、との書き方もしましたが、実際に答えがある訳ではありません。
きっと、このシーズンを過ごしてみて、初めてスノーボーダー長岡英明の、
行く道というか、ゴールというか、使命が見えてくるのかと思います。
まずは、この数年更新を怠っていたこのページにて、hide historyをお伝えしようかと思います。
“こんな事聞きたい!”と言うことがあれば、皆さんのご要望にもお応えします。
(但しお応え出来ないこともありますが・・・笑)

今日は、僕がスノーボードを始めるまで。
スノーボードを始めたのは20歳の頃でした。
当時僕は、寿司屋に勤務をして、日々寿司を握る生活を送っていました。
20歳にして、カウンターで寿司を握るというのはなかなか居ないかもしれませんが、
僕が務めていた寿司屋の親方は、このような考え方をしておりました。
「こっちは給料払っているんだ、昔ながらの考えじゃ困る。もっと働いてもらわんと・・・」
親方が言う、昔ながらの考え方というのは、出前持ち3年、皿洗い3年とか、
下積み生活のことを言うのかと思いますが、親方自身、昔ながらの頑固職人だったのに、
まぁ、よくもこういった新しい考え方をしたもんだと、今は思います。
それでも、その親方の考え方に助けられ、僕は寿司を握れるまでに短期間で成長できました。
しかし、実際それまではとても辛い日々でもありました。

僕が務めていた寿司屋は、山梨県の小淵沢町という町にありました。
なぜその町で?と思われるでしょうが、僕は15歳で家をでて、
小淵沢町で下宿生活を送っていたのです。
これはお恥ずかしい話で、当時を知る者からもよく、酒の席ではネタにされますが、
中学生の頃の僕は、いわゆる不良少年と言う奴で、両親や家族をよく泣かせてしまいました。
何か不満があった訳ではありませんが、流行を追うようにして、荒れた日々を送っていたのです。
当然、高校進学ともなると、素行の悪さから近くの高校に行けるハズもありません。
両親がとった行動は、唯一の僕の取り柄だった、スケートを生かして進学させたのです。
当初、山梨に行くことは自らの意志ではなく、随分と反発もしましたし、
強制的に山梨へ行かされたことで、両親を恨みもしました。
しかし、今となってみれば心の底から感謝し、あの両親の判断があったからこそ、
今の僕がいると、感謝してもしきれないほどの思いでいます。
実際、妻とも山梨で出会い、長い交際を経て結婚しましたし、
山梨で出会った友人達とは、今も深い付き合いがあります。
それに、不良少年だったけど、あの時随分と悪いことを積み重ねたお陰というか、
あの経験があったからこそ、今このように生きていられると思っています。
不良少年ではなかったとしたら、きっと真がない大人へとなっていたでしょう。
ですから、これは僕が僕であるための道であったと捉えています。

話が随分とそれてしまいましたが、寿司屋では厳しい毎日の中、カウンターに立てるようになり、
仕込みも接客もサービスも、全てに全力を注いでいました。
初めて魚をおろしたのは、入店間もない頃でした。
まな板の上に魚を“ドン”とおかれて、親方に「さぁおろしてみろ」と言われ、
オロオロしていると、「初めはできなくて当たり前だ、でもやらなきゃおろせない」と言われました。
その後も、閉店後にカウンターに呼ばれて、「さぁ巻いてみろ」と細巻をやらされたんです。
当然できる訳もありません。
こんなように、とにかく何でもかんでも、トライさせてくれるわりには言葉では教えてくれなかった。
それから、目で盗むと言うことを学んだのです。
初めて握った時のことは、今でも鮮明に覚えています。
常連さんが、突然僕を呼び出し、握りをオーダーしたのです。
僕はその頃はまだ、カウンターに立てていないし、握りもしたことがなかったので、
当然丁重にお断りしました。
しかし、それでも握れ!という酔っぱらいのお客様に、親方がやってみろ!と言って下さりました。
正直、僕はやりたくなかったんです。
今思えば、親方に仕組まれていたのでは?と思うくらいです(笑)
僕は上手くできなくて、悔しくて、カウンターでボロボロと涙を流しながら、
お客様の前で寿司を握りました。
あの時の事は、本当に鮮明に心の中に残っています。

そんな寿司屋での修行に、不満があった訳ではありません。
当時は、いつかは自分の店を持ちたい!と強く思っていたくらいですから。
でも、僕はスノーボードと出会ってしまったのです。
入店から2年が過ぎた頃、スケート時代の先輩の家に遊びに行きました。
そこに置いてあったのが、スノーボードだったのです。
スケート選手は当時、カルガリーによく合宿に行きますから、
その合宿先で手に入れて、日本に持ち帰ったようですね。
その先輩に勧められるまま、趣味もなかった僕はスノーボードを始めることになります。
それが、僕がスノーボードを始めるまで。

何だか、書き始めると次から次へと思い出があふれ出てきます。
あまり長くなるのもどうかと思いますので、話の続きは次回と言うことで。

それでは皆さん、正月の暴飲暴食でたるんだ体を引き締めるために!
ゲレンデに飛び出しましょう!!

ひで