hiden voice

2005.8..29「中国古典から学んだこと」


最近、ある御方から一冊の本を頂いた。
その本には、その著者が中国古典から学んだ大きな力について書かれていた。
僕は、その本を読んでいくうちに、とても中国古典に惹かれていった。
そして、今は中国古典を毎日読んでいる。
中国古典は、読んでみると実にシンプルだ。
そのシンプルさと、共感できる多くの言葉が、僕が惹かれていった理由かもしれない。
今日のhiden mailは、その中国古典から学んだ事をお話ししましょう!

「学びて時にこれを習う、また説ばしからずや。」

(学ぶ。そして折りにふれ実践してみる。こんな楽しいことがあろうか。)
仕事でも、趣味でも何でもいい、学んで少しでも出来るようになったときの楽しさを思い出してみて。繰り返しやりたくなるでしょ?繰り返し学び、そして実践する、その楽しさは自分自身にしか分からないことだけど、生きていく上では、とても大切なことですよね。この言葉から、「学習」という言葉が生まれたようです。僕自身も、スノーボードやゴルフ、サーフィン、語学や様々な知識に対して、この言葉が当てはまると実感しました。

「人知らずして慍みず、また君子ならずや。」

(人に認められようが認められまいが、気にしない。それが君子というものだ。)
自分が人から正当に評価されないというのは、まことにやりきれないものですよね。認められないと自信を失う。やる気がなくなる。孤独感にさいなまれる。やけになる。認めてくれない相手を腹ただしく思う。これが普通ですよね。
でもね、こう考えてみると少しは救われるのではないでしょうか?
認められなくてもいいじゃないか、自分を信じ努力を続けよう。人に認められるためにやるのではない。自分は自分なのだ。自分自身のためにやっているのだぞ、と。

「速かならんと欲することなかれ。小利を見ることなかれ。
 速かならんと欲すれば達せず。小利を見れば大事ならず。」

(早く成果をあげようとしてあせってはならない。目先の小さな利益に惑わされてはいけない。あせれば成果はあげられないし、目先の小さな利益に惑わされれば大事業は成功しない。)
人には必ずあせる心がある。そして、あせることによって目先の利益にとびつく気持ちが生まれる。この二つは結びつきやすく、僕もよく自分のことを振り返ってみると、あせってしたことに、いい結果はなかったように思う。一つ一つを確実に、一歩一歩歩んでいく。これは非常に大切な事だと感じた。

「過てばすなわち改むるに憚ることなかれ。」

(過ちに気づいたら、ためらわずに改めることだ。)
ミスを絶対に犯さないということは不可能なことです。そして、ミスをしてしまった時には、ミスを認めたくないという心理がはたらく。これは、自尊心なのか?防衛本能なのか?僕もよく、ミスから逃げたくなる事がある。そして、様々な過程でミスをしてきた。完璧な人間はいないので、ミスをすることはしょうがないことなのかもしれないが、問題なのは、そういった時にどういった対応をしてきたのか?ということ。自分の過ちを素直に認め改める。
実にこれは、勇気のいることでもあるが、とても大切な事ですよね。

というわけで、今日は少しだけ、中国古典から言葉を借りて話をしてみました。
面白かったでしょうか?それともつまらなかったでしょうか??
当然、人によってとらえ方は違うと思いますが、僕はこの年になって色々と学ぶことが楽しいです。

そして、中国古典の最後には「天命」という言葉が出てきますが、これがとても奥深い意味を持っている言葉なんです。その奥の深さに、簡単には説明出来ない意味を持っていますが、僕の人生もおそらく「天命」なんでしょうね。
「天命」に逆らわずに、人生を過ごすことが出来たら、それは本当に素晴らしいことです・・・。
ひで